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【資料】
・「猿まわし」の元祖敷屋村高山から起こる
『紀伊続風土記』には慶長(1596年〜1615年)の頃に高山(現、田辺市本宮町)の猿ひきが名草郡貴志村に移住した。
(「紀南新聞」1956年7月18日付)
・高山村
請川村の良の方にありて川を隔て・・・(中略)・・・当村は奮熊野権現の紙漉なり
といふまた当村に奮猿引あり熊野猿といふ事此村の猿の事なりとそ名草郡貴志村の
猿引は慶長の頃此村より移りしなり
(『紀伊続風土記』巻85より抜粋)
・上田井村
田中ノ荘黒土村の東五町にあり・・・(中略)・・・上田井の名あり非は堰の義なり
紀ノ川を超えて南に当村領あり向島といふ此村の北の端に猿屋垣内といふ所あり家
敷二十軒許皆猿牽を業とす平民これを婚を通せす
(『紀伊続風土記』巻32より抜粋)
・梅原村
猿屋
大歳ノ社の南に猿舞師九戸あり貴志の甚兵衛猿といふ四方に行き猿を舞して勧場
に供す国中に猿屋二箇所あり一は那賀ノ群上田井村にあり当村の猿舞師慶長ノ頃
奥熊野四村ノ荘高山村より移りしといふ
(『紀伊続風土記』巻8より抜粋)
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