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イベント情報 投稿記事 狭山事件 差別事件 クローブアップ オススメ コラム
も く じ
◆はじめに
◆2/22(月)…in新宮市
◆2/23(火)…in新宮市
◆2/24(水)…in田辺市
◆2/25(木)…in湯浅町
◆2/27(土)…in橋本市・紀の川市
◆2/28(日)…in和歌山市杭ノ瀬
◆後記
※猿舞座プロフィール
※公演ページ「いのちをみつめて うたをこぼせ」

はじめに


山口県岩国市から「猿舞座」がやってきました!!
今回は、2010年2月22日〜28日の1週間、新宮〜和歌山市までを縦断する旅に同行した時のようすをお伝えします。

「猿まわし」って!?

おサルさんもともと、猿は馬の守り神として各地で厄祓いとして重宝されていました。

それが、近代に入って世の中の流れがかわり、猿まわし業は転業や廃業せざるをえませんでした。

そんななか、座長・村崎修二さん率いる「猿舞座」が昔から猿まわしをしていた人びとに話しを聞いて復活させたのがはじまりです。

猿まわしと和歌山県

「猿舞座」を復活させた修二さんの父、勝正さんが教えた猿まわし師が和歌山県白浜町にあるホテル川久で猿まわしをしていたことから、和歌山での猿まわしを掘り起こす作業が始まります。

【資料】

・「猿まわし」の元祖敷屋村高山から起こる
『紀伊続風土記』には慶長(1596年〜1615年)の頃に高山たかやま(現、田辺市本宮町)の猿ひきが名草郡貴志村なぐさぐんきしむらに移住した。

(「紀南新聞」1956年7月18日付)

・高山村
請川村うけがわむらの良の方にありて川を隔て・・・(中略)・・・当村は奮熊野権現の紙漉なり といふまた当村に奮猿引あり熊野猿といふ事此村の猿の事なりとそ名草郡貴志村の 猿引は慶長の頃此村より移りしなり

(『紀伊続風土記』巻85より抜粋)

・上田井村
田中ノ荘黒土村たなかのしょうくろつちむらの東五町にあり・・・(中略)・・・上田井こうだいの名あり非は堰の義なり 紀ノ川を超えて南に当村領あり向島むこうじまといふ此村の北の端に猿屋垣内さるやかいとといふ所あり家 敷二十軒許皆猿牽を業とす平民これを婚を通せす

(『紀伊続風土記』巻32より抜粋)

・梅原村
猿屋
大歳ノ社おおとしのやしろの南に猿舞師九戸あり貴志きし甚兵衛じんべい猿といふ四方に行き猿を舞して勧場かんじょう に供す国中に猿屋二箇所あり一は那賀ノ群上田井村ながのぐんこうだいむらにあり当村の猿舞師慶長ノ頃 奥熊野四村ノ荘高山村より移りしといふ

(『紀伊続風土記』巻8より抜粋)




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