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イベント情報 投稿記事 狭山事件 差別事件 クローブアップ オススメ コラム
【講師】座長、村崎修二さん

【日時】2010年2月28日 14:00〜

【場所】杭ノ瀬文化会館

紀州の旅も12回目となり、本日は千秋楽です。1947年生まれ62歳です。
タイトルにもあるように「いのちをみつめて うたをこぼせ」という言葉は、涙ではない、うたをこぼせという意味で、山口県で有名な丸岡忠雄さんという詩人の言葉です。

■猿まわし復活のきっかけ
1970年代の早い時期に、白浜町のホテル川久にまだ、猿まわしがいると聞きました。
山口県にしか残っていないと言われていたので、1970年代になって俳優の小沢昭一と調査しました。

いろいろ聞いていくうちに、近代の伝統をもった地域だそうです。
猿まわしの伝統と関係があるようです。
人間の教育を考えると、人間の相棒である猿、猿の芸能を研究していくうちに、重要なことがわかってきました。

1975年、川久に行って猿まわしの生き残りに逢ってきました。
白髪頭で風格のあるお猿さんは、芸が終わるとお酒を貰っていびきをかいて寝ていたんです。
大変素晴らしい猿でした。
芸人さんもそばにいました。今は宮崎県でご存命です。

1977年から日本モンキーセンターや京都大学、元、猿まわしの芸人さんたちの協力を得て、猿まわしを復活しました。

■猿まわしの本拠地、和歌山県
いろいろ調べていくうちに、本拠地は紀州であったということがわかり、和歌山市にたどり着きました。和歌山市に梅原という地域があります。
幕末にかけて、このあたりに猿飼いが住んでいたといわれています。
また、元禄時代から続くお寺の周辺に甚兵衛さんという猿まわしがいたことが記されています。

また、紀の川市粉河町長田には、長田垣内(かいと)という猿飼いの屋敷がありました。
旧本宮町(現、田辺市)高山という地域には、熊野八郎という人物が奈良時代に「役の行者」の手伝いとして猿まわしをはじめたとも言われています。

和歌山大学の歴史の先生が文芸家を通してこんな話をもってきてくれました。
和歌山のある新聞(『大阪朝日新聞』和歌山版 1934年5月27日付)に、ベソをかいた猿まわしの話が書かれてると。
(編集部後述)『大坂朝日新聞』和歌山版
「ベソをかいた猿まわし」
座長の父、勝正さん(当時、27歳)が築地で食事をしている間に猿と太鼓がなくなり、和歌山署へ猿の捜査を願い出たという。

■伝えたいこと・・・
人間と猿、教育と文化がいかに大事か。
そういったことをみなさん自身で見つめ直してほしいと思います。



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