O K I N A W A
和歌山県子ども会連絡協議会に同行して沖縄へ行ってきました
レポート:新井 理代 (^^♪
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1日目 9月12日(金)
沖縄県で三日間にわたり開催される、2003年度和歌山県子ども会高校生・青年リーダー交流会のため総勢33名、関西空港から那覇空港へ飛び立ちました。
宮古島に多大な被害をもたらしている台風14号の動きが心配されましたが、沖縄本島への影響は少なく、予定通り那覇市内のホテルに到着。
高校生たちは学校があるので夜の便での出発となったため、本格的な研修は明日から。
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2日目 9月13日(土)
【沖縄と基地】
目がくらむような青い空。天気は快晴。
午前10時、貸切バスでホテルを出発。
那覇市から北へと向かう。
浦添市(うらぞえし)、宜野湾(ぎのわん)市、北谷(ちゃたん)町、嘉手納(かでな)町を走る車窓からは、和歌山から見えることのない東シナ海が広がり、金網が張りめぐらされた米軍基地が次々に現れる。
浦添市の海岸部には、南北3キロ、東西1キロにわたりキャンプ・ギンザと呼ばれる牧港補給基地がある。
基地内には巨大な倉庫郡が立ち並び、ベトナム戦争当時にはあらゆる軍需物資を補給した。
現在、キャンプギンザに隣接する西海岸開発地区に那覇軍港移設が予定されており、実現すれば航空母艦や大型輸送船団の寄港も可能とされ、補給基地と軍港が一体化して使用されることになるという。
次に目に入ったのは普天間飛行場。よくニュースで聞く基地だ。
1945年米軍占領後、本土決戦に備え滑走路を建設し、当時空軍が使用していたが、1960年海兵隊航空基地として使用され現在に至っている。
宜野湾市のど真ん中に位置し、市の面積の26%を占めるという。
その基地を囲むように学校や住宅、商店が密集しているので住民は騒音はもちろんのこと、墜落の危険と隣り合わせで暮らしている。
今日はひっそりとしていると思ったら、米軍も週休二日になっているとのこと。
本土復帰後米軍航空機事故は142件も起きており、その内、約半数の事故が普天間基地がらみという。
1995年に返還が合意されたものの、日米両政府が県内移設を前提としているために、返還の見通しは立っていない。
逆に、北谷町のバンビー飛行場は1981年に返還され、現在は大型ショッピングセンター等が立ち並び、多くの買い物客で賑わう商店街となっており、基地が返還されると豊かな街づくりができる見本となっている。
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