トップへ トップへ  当NPO概況  資料  リンク
イベント情報 投稿記事 狭山事件 差別事件 クローブアップ オススメ コラム
想フコト
勝ち負けの主体は?(はまぐち)
30歳を目前にして、さまざまなことを考えるようになった。
親のことや自身の健康、将来のこと・・・・

そんな折「負け犬の遠吠え」(著:酒井順子 講談社刊)というテレビをみた。
「どんなに美人でも仕事ができても三十代、未婚、子ナシは女の負け犬」なのだそうだ。
しかし、結婚していないと女は「負け犬」なのか?
結婚していて子どもがいれば本当に「勝ち組」なのか? 疑問。

15年間も弾いて10年間放置していたピアノを最近弾き始めた。
本当にピアノが弾きたくなれば弾くだろうと推測して10年。弾きたいという衝動にかられた。
インディアカもはじめた。麻雀もはじめた。ハングル語もはじめた。

こんなに欲張る「深層心理」はわからないが、何かに打ち込みたいのかもしれない。
日々の漠然とした焦りを抱えながら、現実と理想のギャップにもがき、最後にいきついた選択なのだろうか。

「社会」は私を「行き遅れ」と呼ぶ。結婚してはじめて「女は幸せ」という社会の勝手な規範に縛られて生きにくい女性たち。

「負け犬の遠吠え」 「社会」が彼女たちに発した言葉のようだが、実は規範に縛られるくらいなら、一人の人間として生きるわ!!
という彼女たちの決意なのだ。

2005/05/30

健康のありがたさ・・・(はまぐち)
さて、みなさま。健康のありがたさを実感することが、どのくらいありますでしょうか?いったい何事?とお思いでしょう・・・そう、私は思いがけもせず「入院」という体験をしたのです。
 12月19日の早朝、救急車で病院へ向った私は、昼過ぎに「入院」が決定。
(実は、一人暮らしで心細かったのか、救急隊員の姿を見た瞬間、安堵で泣きじゃくっていました・・・)

しかし、入院するための荷物やペットをどうすれば・・・。不安でしたが痛みで考えなんてまとまりません。
(こういう時、一人住まいの高齢者はどうするのでしょうか?)
入院中は「絶飲食」以外に制限されたことはありませんでしたが、「健康」な私が本当に本当に懐かしくて仕方ありませんでした。
はじめの3日間はほとんど眠ってばかりでしたが、ときに襲う痛みで目が覚めナースコールする日々。
食べられない苛立ち、なかなか良くならない事への不安、自分の意思で動けないもどかしさ(身体を動かすと痛みが増すので)、
いつまでこの生活が続くのか・・・焦りばかりが募っていきました。
(あの暴飲暴食していた私がうらやましい・・・)

「看護体制、すごいかも!?」
私がいた病棟には、たくさんの入院患者がいました。私が入院する時には満床だったそうです。
私の治療は「朝8時、夕方4時、夜12時に点滴交換」「朝9時と夜9時に抗生剤追加」「二日に1度の血液検査」でした。
毎日違った看護師さんが決まったメニューを確実にこなしてくれます。
毎日の繰り返しで覚えてしまいましたが、一人のメニュー×人数をどういう方法で管理してるのでしょうか?いまだに不思議です。
そしてもう一つの驚きは、点滴に張られたチェック項目表です。看護師は、点滴に書かれた私の名前を一緒に確認させます。
そして、腕に巻かれた名札、ベッドの名前、壁に書かれた名前を確認してから点滴をセットします。
そして、チェックした項目表には、担当看護師の印鑑が押されます。この徹底した患者確認作業は、どの看護師も同じでした。

「究極の心理と勝手な私・・・」
自分でも驚きでしたが、良くならない自分を客観的に見つめるようになると、漠然と身辺整理を考え出すようになりました。
死を宣告されたわけでもないのにです。ペットのこと、両親や友人に伝えなければならないこと。これまでの自分を振り返ってたくさんのことを考えました。ベットの上で泣くこともありました。何時間も自分の不幸をグチったこともありました。
そんな状況で、他人のことなんて考える余裕なんてありません。極限に追い込まれた時の心理、自身の意志の弱さを痛感しました。
幸いたいしたことなかったのですが「病魔」と闘うことの心の苦しさやしんどさを少し体験することができたのかもしれません。
そんなことを考えていた私も、6日目にして食事が許されました。「固形物が食べられるんだ」と知らされた瞬間、身辺整理なんて一瞬でふっとんでいました。
なんとも自分勝手で軽い私・・・
食事は、もちろん5分粥。おかずもお盆にのっていました。うれしくて笑い涙を流しながら食べました。携帯で写真も撮りました。1週間も絶飲食が続いたため、ほとんど食べられません。
でも次の日の朝食が楽しみでした。楽しみができると、爽快な気分になれます。こんな気持ちは久しぶりです。

「雑感」
食事が出るようになった5日間、1日が本当に早く過ぎました。3度の食事が待ち遠しいばかり。朝起きて売店に新聞を買いに行き、朝食を取り新聞を読む。昼食を取って病棟を散歩し、時には外来患者の様子を見に行く。
少し昼寝をして夕方には1日のニュースをチェックし夕食をとる。夜にはお見舞いを楽しみ待って寝る。 1日の生活が規則正しくなりました。社会から「隔離」され「不安」が宙を舞う状況の中で、私は少しだけ強くなれたのかもしれません。

日常の社会生活から離れ、病院という社会から「隔離」された空間で11日間生活しました。
この入院は、私にとって身体を治すと同時に心の鍛錬になったのかもしれません。大げさかもしれませんが、私にはいい薬だったのです。
現在も通院は続いています。まさか、あの痛みでこんな結果になるとは思っていませんでした。しかし、今になれば懐かしさもあります。
不謹慎ですが、ゆっくり考える時間ができた。そう思っています。

みなさまもお体をご自愛をご自愛下さいませ。
2005/01/12

もうひとつのオリンピック、そして・・・(いけだ)
アテネ・オリンピックが、夢と感動と数々の問題を残して終わった。
日本選手団は、毎日のようにメダルを取り、新聞やテレビをにぎわせ、私も寝不足の連日となった。
 さて、次は「パラリンピック」である。パラリンピックは、障害者の国際的なスポーツ大会で、「もうひとつのオリンピック」といわれ、オリンピックの直後に開催されている。
今回は、アテネで9月17日から28日まで、様々な競技が行われる。

  しかし、この「パラリンピック」については、聞いたことがあるけど、全体的には、ほとんど興味が示されていないし、マスコミの取り扱いもあまりされていない。
 私自身もよく知らなかったのだが、長野パラリンピックのときに、テレビで開会式をみて主催者の「勇気を出して行動して・・」という、私たちへのアピールに感動し、競技を見て、その力強さにビックリしたのを憶えている。

 アテネ・パラリンピックを応援しよう! 日本選手団にエールを送ろう!

 それから、来年日本で開催される「冬季・スペシャルオリンピックス」の準備も着々と進められている。
 スペシャル・オリンピックは、「知的発達障害者」のための国際スポーツ大会であるが、パラリンピック以上に知られていない。

気づき、行動すること・・・勇気を出して。そのことが、今、私たちに求められている。


○パラリンピック   http://athens.yahoo.co.jp/para/(終了)
日本障害者スポーツ協会(http://www.jsad.or.jp/

○スペシャルオリンピックス  http://www.2005sowwg.com/top/top.html(終了)
スペシャルオリンピックス(http://www.son.or.jp/

2004/09/06

オリンピックが始まった(いけだ)

オリンピックが始まった
サッカー、ソフトボール、野球・・・それに、柔道と水泳・・・。とにかく熱戦がテレビやインターネットを通じてライブで届けられる。日本とギリシャの時差は、約6時間(通常は7時間だが、今はサマータイムの期間)で、日本では、夜の12時を回った頃からが見頃である。

聞くと、このテレビ等の放映権を獲得するために、日本は188億円という大金をIOCに支払ったらしい。ところが、インドネシアでは、この放映権が支払えないために、テレビでの放送が出来ないという。釈然としない。

確かに、オリンピックは金がかかるといわれている。施設設備、運営等に莫大な経費が必要で、入場料と様々なグッズの売上、世界中に放映されるテレビ等の放映権が収入源となる。それでも、開催地は莫大な負担が生じ、アテネでも10年間この借金を引きずるらしい。
そういえば、長野・冬季オリンピック際の自治体がかかえている借金は相当なものらしい。そういう事情を考えれば、インドネシアの様な状況も生まれてきそうである。
それでも納得できない。
一方では、ビジネスになっていることも事実であり、オリンピック開催前のイギリスBBCのおとり的な取材による「IOC役員」の買収とエージェントに関わるスキャンダルからして、「何をか言わんや」である。

そうしたことは、競技する選手や多くに人々には無縁であろう。とにかく、オリンピックは、凄いし楽しい・・・。また、寝不足になる。

2004/08/16

これが男の生きる道(いけだ)
男女共同参画社会の推進にかかわって、和歌山県では様々な施策やサポートメニューが作られ、取り組みが進められている。

考えれば、この男女共同参画社会の方向は、そもそもマイノリティ(少数者)や被差別の側に置かれていた女性、とりわけアジア(ヒンズーやイスラム世界)の女性の人権確立からはじまったもので、「女性差別撤廃条例」のプログラムにその元がある。
そういう視点で考えれば、私たちの社会にも多くの課題がある。

部落・在日韓国朝鮮人をはじめとする定住外国人・障害者・介護を要する家族、その他様々な条件下にある女性が、和歌山県が用意しているメニューやプログラムを積極的に享受できる状況にあるのかが、もっと議論され吟味されなければと考えてしまう。

さらに、市町村合併にも大きな問題を抱えている。

また、男女共同参画社会の推進は、いうまでもなく男女それぞれが幸福になる道筋である。
とりわけ老後の男性が、人間として生きる権利を保障する道筋である。
「性による固定的な役割り分担」は、女性に対する差別感を基盤として成り立っている。
「差別の本質」は、概ね同じような性格を持っているといえる。
差別は、被差別当事者に対する人権侵害とともに、こうした差別意識を利用して、被差別者を含め効率の良い搾取のシステムをつくりあげている。

つまりこの場合、家庭の一切のことから男性を「放免」し、わき目も振らず一心に働く「働きバチ」にすることにある。
そして、このことから「定年退職」ということで投げ出された時、男は「燃え尽き症候群」あるいは「濡れ落ち葉」といわれる無気力状態になる。
この間、女性は厳しい状況を余儀なくされるが、一方では「社会性」をしっかり身につける。
そして、勝負は老後であるが、勝敗はいうまでもなく、いとも簡単についてしまう・・・。

最近、社会情勢が変化し、単純な話ではないが、未だに多くの男性の意識が変わろうとしていない。
自滅の道であることにきがつかず・・・。

今こそ、男女共同参画社会推進が、男の生きる道であることを認識し、頑張ろうではないか!

2004/07/20

「年金」?!(いけだ)
最近、気になることが多い。

特に、イラクの刑務所での虐待問題と米国人の公開(インターネット上)処刑は、ショッキングな出来事だった。
人間の生命や尊厳を弄ぶかのような行為は、どのような場面においても容認できるものではなく、テレビである識者が
「これが戦争の現実なんだ」
と言っていたのが印象深い。
まさに、戦争は最大の人権無視である。

今ひとつは、年金問題である。
この文章が皆さんにふれる頃には、例の「年金制度改革関連法案」が成立していると思う。
年金制度については、私たちの老後の生活に関わる
極めて重要なことにもかかわらず、私も含めて非常に分かりづらいものである。

最近、社会保険事務所に相談者が殺到しているらしい。
この間、それまで無関心に近かかった自分自身の「年金」に関心が高まってきたのだと思う。

さて問題は、いったい「いくらもらえる」のかということと、「いつから」ということであろう・・・。
現状でも、「年金で、生活できない」という人が大半を占めている。
しかも国民年金が極めて厳しい状況である。
国民年金対象者は、自営業と社会保障制度のない
不安定就労を余儀なくされてきた人が対象である。
以前、ある機会に部落の実態を知ったのだが、50%を超える不安定就労者や多くの無年金者があるという。
部落の人だけではないが、過酷な労働条件のなかで働いて、その後に待っているのが厳しい老後である。

また、「いつからもらえるのか」ということについては、私自身、数年前までは「60歳」といわれていたのが、今は「65歳」かららしい・・・。

どう分からん・・・。

はっきり言って、その直前になってみないと分からないのでは・・・・と思う。
それにしても、今回の「年金制度改革関連法案」では、「100年安心」は言葉のみで、要するに「負担増・給付減」であり、何ら制度改革につながらない・・・。

「江角さん」をボロクソに言い、国民の未納者一掃に躍起となってきた政府関係(内閣)や
国会議員に「未納者」が続出していることに、無条件で腹が立つ・・・。

「いいかげんにしろ!」

2004/05/13

最近のニュースを観ていて(いけだ)
最近、特に気になったのが大阪の食肉会社に関わるニュースである。
当然、悪いことをし厳しく非難され、罰を受けるのは当然のことである。
しかし、このことに関連して、差別を解消するために行ってきた法的な措置について間違いであったかの様な論調や同和問題を「聖域」「タブー」「アンタッチャブル」として捉える報道には納得できない。

そして、今、この事件に関連して、
「今までは踏み込むことができなかったけど、これからは・・・」という言い方にも同調できない。

 日曜日の午後に放映されている民放のある番組でも取り上げられ、
「今までは、アンタッチャブルな問題で、怖くて何もいえなかったが・・・」
「差別意識は、もう無くなってきているのに、いつまでも・・」
と何人かの人が発言していた。
そんななかで、ただ一人だけ、出演者のS弁護士が
「この食肉会社は悪い。しかし、そのことで同和問題はというのは間違っている」
「これまでの差別の歴史、それに現実にまだまだ差別があり、差別意識広くあることを考えなければならない」
さらに、
「同和対策の法律が切れたが、これだけでは何も解決しない。われわれが、自分の差別意識を変えなければならない」
と力説した。

 実は、「聖域」「タブー」「アンタッチヤチヤブル」と捉えてること自体が差別意識である。
そして、「怖いから何も言えなかった」というのも同様だ。
なぜそう捉えるのかというのが問題で、よく考えてほしい。
それはそういう状況を差別を受けてきた同和地区の人が求めたものではなく、自分自身のもつ差別意識を非難されたり抗議されることを恐れ
「触らぬ神に・・・」
を決め込んできた人々の誤った態度の結果に他ならない。
勿論、よく使われる「逆差別」という事実は、現実には存在しない。

 さらに、事件がおき、その関係者が同和地区に関係していると
「同和地区は・・」
となる。

以前起きた事件でも障害者が関係していると
「障害者は・・」
となっていた。

そうした意識、捉え方が差別意識であると考えなければならない。

 今回の事件についても、厳しく指摘され、その真相を明らかにする必要がある。
そのためには、場合によっては同和事業のあり方を検証する必要もあると思う。
しかし、そのことは同和事業そのものを否定するものであったり、同和地区の人々の苦しみや思いを否定したりするものではない。
2004/04/26

イラク・アピール
先日、イラクで誘拐されていた郡山さん、高遠さん、今井さんの三人が無事解放されにユースで沸き立った。
拉致されていた8日間は、三人はもとより多くの人の心に様々な思いを刻み、願いを共有した時間でした。

また他方で、家族に対し、一部の心無い人の暴言や嫌がらせもあったことは極めて残念なことであった。
 しかし、いずれにしても、家族や多くの日本の国民、政府はもとより戦争によって家族や家をなくしたイラクの子どもたち、マスコミ関係、イラク・イスラム聖職者協会、そしてイラクの国民、さらには世界の人の一致した思いが三人の解放を実現させたのだと思う。

 さて、解放直後の三人の発言に対し、政府関係者をはじめ様々な人が非難の声を浴びせている。
さらに三人がイラクに行ったこと自体を誤りであったかのような評価さえしているのである。
しかし、三人の行動は間違ってはいない。

 郡山さんは、フォトジャーナリストとしてイラクの実情を撮り続けていた。
高遠さんは、ストリートチルドレンに献身的なボランティア活動を続けてきた。
今井さんは、劣化ウラン弾による影響を明らかにしようとしていた。

 イラク・イスラム聖職者協会のクバイシ師は「これは日本国民へのプレゼント」と発言し、多分に政治的な効果をねらってのものだが自衛隊の撤退を求めていた。

 イラクの危機的状況はさらに続いている。
米国人4名の殺害に端を発した米軍のファルージャへの無差別攻撃によって、多くの子どもを含め600人を超える市民が犠牲になっている。
また、14日に大阪で講演した元米軍軍医は、サマーワが核汚染されていることを報告している。

 自衛隊による「人道支援」一辺倒ではなく、本当のイラクの情勢をふまえ、三人の行動や解放されてきた経緯を十分考え、真剣に人道支援を・・・イラクに今何が必要かを考えるときではないだろうか・・・。

 そして今新たに、行方が不明になっていた二人の日本人ジャーナリストも解放された。
しかし、まだ多くの人々が誘拐されたままになっている。
私たちは、関係諸国とすべての人に、生命は何ものにも変え難いかけがえのないものであることを訴え、復讐や暴力、卑劣な誘拐などによらない根本的な解決を、そして一日も早い平和を強く願うものです。

2004/04/17

緊急アピール
NPO法人「ヒューマンライツわかやま」では、
先の2月13日〜15日、和歌山市民会館で森住卓さんの行動と「真実」を訴える写真に共感し、写真展&講演会「イラク・湾岸戦争の子どもたち」を開催しました。

 そして講演会では、新聞などでは報道されない「真実」と「子どもたち・市民の実態」をイラクを訪れた森住さんご自身からお聞きしました。

また、会場内では、子どもたちへの医薬品などを購入するためのカンパ金も募り、多くの人びとに共感いただき協力を得ました。

 今回、拉致にあわれた3人は私たちと同様に戦争に反対し、平和解決を求めるとともに、イラクの現地において具体的にイラク国民に対して支援活動をおこなっている人たちです。
私たちは、このような事態を速やかに解決し、一切の暴力や武力によって何も解決しえないこと、市民レベルの広範で積極的な支援活動が必要なことを強く訴え、日本政府と拉致グループ双方に対して3人の速やかな解放と平和的手段による解決を強く求めるものであります。

特定非営利活動法人ヒューマンライツわかやま
2004/04/08

自然の中で・・・(いけだ)
先日、ある機会があって高野山に行ってきました。
本山の金剛峰寺で宗務総長の土生川先生以下の皆さんと面談した後に、
土生川先生の案内で「精進料理」をご馳走になりました。
精進料理は、相当以前に永平寺で(これもお呼ばれですが)、
それ以来二度目の賞味になりました。

山菜、湯葉、豆腐などなどを使った一品それぞれが、
歴史と風土をベースに素材が巧みに生かされ、さりげなく完成されたものでした。
時々お話しされる土生川先生のウイットに富んだ内容と
その優しい声とともに、素直に全身にしみ入る感じがしました。
そして以前、高野山のある僧にきいた
「私たちは生かされている」
という言葉を思い出しました。
私たちは、間違いなく自然のなかで生かされているし、
自然の前には、何の気負いも衒いも意味を持っていないんだということ。
そして、「生きとし生けるもの全てが尊い」ということが、人権の基調であるということを。
 用事が全て終え、霧に包まれた高野山を車で降りていくと、
次第に目の前が晴れ、景色が見えてきました。
その途端に急に現実に引き戻され、様々なことが浮かんできました。
そして、私たちNPOの活動についても思いを馳せる。
とにかく忘れられない貴重な時間も含め、さあ頑張るぞ!である。

2004/03/20

更 新 情 報







担当からのコメント