ダリットのおかれている現状の報告インドではダリットは生まれながらにしてダリットです。 ダリットの人たちは独自の文化を持っていて、それは何千年もさかのぼり、インダス文明の頃から伝わっています。 アーリア人の侵略の前にはカースト制はなく、人々はみんな平等でしたが、3500年前にアーリア人が入ってきたことによってカースト制ができました。 その頃からダリットはカースト制を受け入れること、アーリア人と一緒に生活することを拒否してきました。 しかし、そういったダリットの人たちを触ることはもちろん、見ることもできないアンタッチャブル(不可触)としてきました。 ダリットがいるところに人が近づいてきたら、ここにダリットがいると音で知らせるということまでしました。 その不可触制は法律で禁止され、そういったあからさまに見てはいけない、触ってはいけないということは無くなってきていますが、違った形で差別は残っています。 たとえば、サンダルを履いてはいけない、トイレなどの公共施設を使えない、ダリットの人が亡くなったときに埋める所を決められているなどです。 特に、ダリット女性の状況は深刻で、低賃金で限りない重労働を課せられ、不可触民、穢れているといった差別を受けているにもかかわらず、夜になるとセックスを強要されたり、性暴力を受けます。 その時だけ、不可触民であるということが忘れられています。 そういったことがインドのダリットの中での女性のおかれている状況なのです。 ダリットの教育問題は大変深刻になっていて、インドの教育が民営化されたことによって、お金のある上位カーストは子どもを私立の学校へ行かせ、お金のないダリットの子どもは公立の学校へ行きます。 公立の学校は教師の人材や設備が全く整っていません。 そういう中で、たとえ学校に行ったとしてもあまり良い教育を受けられていないというのが今の問題となっています。
などがあります。 インドで行われている留保制度が機能していないことやヒンドウー教からの改宗禁止の法律がどんどん成立されていることなどの話の後、 「このような事件が頻繁に起こっています。こういう状況があるので、私たちはどんどん運動を起こして、こういう状況を変えていかなければなりません。ファティマや色々な人がここで活動しているように草の根レベルで広げ、国内レベルへ広げていく、そして国際レベルに訴え、あらゆるレベルに広げていくことが大切だと思っています。だから、日本から来た皆様に話ができたことを大変うれしく思っています。」 と力強く話をしてくれました。 | |||||||||
SREDセンター近郊の村々を訪ねてイルラ(先住民族)の村草葺の家が密集する35世帯の小さな村です。 定住することを許されていませんでしたが、運動の成果で定住することが出来るようになったそうです。 しかし、収入が少なく、生活は苦しいと村の人たちが訴えていました。 | |||||||||
ダリットの村ダリッドの現状や差別を受けている瞬間を一時停止し、 「これでいいのか?」と問いかけている。 その広場で子どもたちの歌やスキット(寸劇)、SREDメンバーの歌、スキット、踊りが行われました。それらはすべてダリットの現状や反差別を題材にしたものばかりです。 歌やスキットの後には聞いている人たちへの問いかけがあります。「これでいいのか。変えていこう。立ち上がろう。」と。 ユーモラスな動きに笑ったり、差別の状況を表した場面では険しい表情で見入っています。SREDでは村々を回り、こういったものを通して啓発活動を行なっています。 |