◆2日目(5/15) 旧軍滑走路跡から2日目からの平和行進団は、名護(東コース)、本部(西コース)、那覇(南コース)の3コースにわかれて平和行進団します。 和歌山から吉原稔(団長・本州化学)、赤嶋崇(自治労)、永野透(同)、田中良寛(全農林和歌山)、渡部伊珠美、M口亜紀(ヒューマンライツわかやま)の計6人が参加しました。 西コース37kmを平和行進団です。 37kmって想像がつかないので、1日目のスタートは余裕のはずでしたが・・・ スタートは本部(もとぶ)町の旧米軍滑走路跡で300人が出発式にのぞみました。 この場所は、自衛隊のP3C対潜哨戒機(たいせんしょうかいき…潜水艦を探知・攻撃する航空機)と交信するための基地計画が1987年に浮上しました。 米軍から滑走路のまま返還され、土地の利用に困った住民のなかには、基地計画に応じた住民もありましたが「戦争につながる施設は絶対に許さない」と反対運動を続け、2007年7月に撤回を勝ち取った場所でもあります。 「この地に立っていることが平和の第1歩!」と説明を受けました。 そこから、本部町多目的ひろばをめざし「平和な沖縄を返せ」「基地機能強化反対」と拳を上げながらシュプレヒコールしながら平和行進! 本部町多目的広場に到着です。 ここで到着式を終えてバスで昼食をとり、読谷村役場をめざします。
ということで・・・読谷村役場に到着。 ここから残波岬をめざします。 途中、極東地域における軍事情報戦略のかなめと言われる「トリイゲート」を通過しました。この基地は、国外唯一の米軍特殊部隊「グリーンベレー」が駐在し、パラシュート訓練がおこなわれています。 米軍特殊部隊「グリーンベレー」はアメリカと日本にしか駐在していないという非常に危険な特殊部隊です。 高速道路には「グリーンベレーが訓練中のため、流れ弾に注意!」と書かれた看板が頻繁に掲示されています。 注意といわれても、高速道路で流れ弾をどう注意しろというのか・・・ また、訓練中には基地外にグリーンベレーが誤って降下してくることもあるそうです。 1965年には、トレーラー降下訓練中に、小学生が圧死する悲惨な事件が続発する非常に危険な地域でもあります。 現在もそうなのかはわかりませんが、誤って基地外に落下してきた「グリーンベレー」を住民が取り押さえて、その米兵と引き換えに基地の一部分を返還させてきたという話をききました。 ・・・ 平和行進中に、道端で地上戦を体験したであろう「おばぁ」たちが手を振って私たちの平和行進団を応援してくれました。 これには感激です。 笑顔で手を振る心のなかには、地上戦で多くの家族や大切な人を亡くした悲しみでいっぱいだろうと思います。 私たちが直接話を聞くことはできなかったけど、おばぁの手を振る姿を見て 「未来ある子どもたちに平和な沖縄を残すことが私たちの使命なんや」と思いました。 |