◆5月13日 嘉手納市 今日の午前中は、嘉手納市で行われる「アジア太平洋から米軍基地の撤去を国際連帯集会」に参加した。 会場は嘉手納基地を臨むホールだった。 集会開始まで時間があったので、一年ぶりに嘉手納基地を見に行った。 日曜日であったため、米空軍による飛行訓練は行われていなかったが、基地内には早期警戒機E-3、空中給油機KC‐135が 駐機していた。 私たちが沖縄入りした5月10日の深夜には、この基地から新鋭戦闘機F‐22が爆音を響かせて本国に帰還した。 住宅地の真ん中にある基地で、深夜に防音設計などしていない戦闘機を離陸させることは、米軍がいかに沖縄住民の生活の安全を無視しているかを示している。 あまりにも広大な基地なので、よく見えなかったがこの基地には他にも、F-15C戦闘機など多数の軍用機が配備されている。 集会は約800人が参加し、日本各地での在日米軍の基地強化に反対する取り組みが報告された。 また、韓国・フィリピン・グアムの参加者から駐留米軍に反対する取り組みが報告された。 韓国やグアムでも、日本と同じように在韓米軍の再編が行われ、米軍基地周辺に住む人々の人権が脅かされていることが報告された。 また、フィリピンではアメリカ政府の掲げる「対テロ戦争」により米軍がフィリピンの内戦に干渉し、多くの内戦とは無関係の住民が甚大な被害を受けていることが報告された。 日本国内でもそうだが、世界中でも軍隊による人権侵害は、社会的な弱者に背負さられている。 集会の最後は、午後から行う「5・13嘉手納基地包囲行動」の成功を誓い合って、ガンバロウコールを行った。 |
◆5月13日 北谷町役場 北谷町役場は「5.13嘉手納基地包囲行動」の本土参加者の集合地点であった。 午前中に体を動かしてないためか、食欲はあまりなかった。 午後1時30分、嘉手納基地に向けて行進が始まった。 午前中は屋内でいたため気にも留めなかったが、今日は曇りだった。 風も幾分涼しい感じで、行進するには良い環境だった。 行進をはじめて約30分ほどで嘉手納基地が見えてきた。 しかし、ここから私たちが担当する場所までの移動が大変だった。 極東最大の軍事基地だけに、目的地まで更に約1時間行進した。 包囲行動に参加するだけで、あまり歩くことはないと思っていただけに、この行進はつらかった。 私たちより先に担当地点に到着した参加者からの声援を受けて、私たちの担当地点を目指した。 途中にあった基地のゲートでは、軍隊内の警察であるMP(憲兵)が数名、私たちを監視していた。 黒色で統一された防弾アーマーに、同じく黒色のヘルメット、サングラスを掛けているため表情は分からないが、私たちにたいして強く警戒している雰囲気だった。 |
◆5月13日 嘉手納基地 私たちの担当地点は滑走路脇であった。 フェンス越しに、よく手入れされた芝生と大きく角ばったオレンジ色の誘導等、そして滑走路の一部が見えた。 もし平日ならば、この滑走路から戦闘機が訓練や警戒飛行に飛び立つのだろう。 轟音を響かせ、住宅地や商店街の直上を平原と同じように離着陸を繰り返す戦闘機を思い浮かべると、なぜこんな基地が沖縄の真ん中にあるのか理解できない。 遠くのほうでローターの回転音がした。 米軍のヘリコプターかと思って見たが、機影からすると報道のヘリコプターのようだ。 道路を走る自動車も新聞社やテレビ局のものが多く見られた。 多くの報道関係が、この包囲行動を注目していることに、参加者である私たちは驚いた。 午後3時15分、30分、45分、 そして4時丁度、4回にわたって嘉手納基地を包囲した。 スタッフの「手をつないでください」という掛け声を合図に、両隣の人と手をつなぎ嘉手納基地を包囲した。 右を見ても、左を見ても延々と続く人の鎖。 嘉手納基地の周囲は約20Kmもあり、基地全体を包囲できているのか私たちには分からなかった。 スタッフが「まだ包囲できていません。 手をはなさないでください」と叫んでいたので、まだ包囲できていないのかと思っていたが、やがてその叫び声も聞こえなくなったので、成功したのだろうと思うことにした。 平和行進と異なり、包囲行動は粛々と行われた。 午後4時過ぎに最後の人の鎖による包囲を終えて、私たちは北谷町役場に向けて歩き出した。 すれ違う包囲行動参加者と挨拶を交わしながら歩く。 いつの間にか雲は途切れ、夕日が照りつけていた。 |