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◆5月14日 那覇市

朝の新聞記事は全くもってショックだった。
5・13嘉手納基地包囲行動の記事の見出しに「『鎖』一部つながらず」と大きく書かれていた。
記事を詳しく読むと、約15,000人の人々が包囲行動に参加したが、目標の20,000人は集まらず人数不足のために「鎖」が一部つながらなかったと書かれていた。
今まで嘉手納基地や普天間基地で7回包囲行動を行い、7回成功してきたが、今回の嘉手納基地包囲行動は8回目ではじめての失敗であった。
今回の包囲行動の成功を疑っていなかった。
包囲行動で出会った多くの人々を思えば、いくら極東最大の基地でも包囲出来るだろうと、安易に考えていた。
私たちが手をつなぎ人の鎖が切れていないことを確認したのは、せいぜい1Kmぐらいで、嘉手納基地の周囲約20Kmからすれば微々たる長さしか確認できていなかった。
完全包囲失敗という事実は、これからの沖縄の平和運動に影を落とさないだろうか。
漠然とした不安を抱え、帰りの飛行機に乗り込んだ。

◆5月14日 和歌山

 当たり前なのだが、沖縄に比べると和歌山は涼しい。
この5日間の疲労のせいで体の節々が悲鳴を上げていたが、無視して家までたどり着いた。
鏡を見ると、沖縄に行く前は白かった腕と顔は赤く焼け、鼻はすでに一皮むけていた。
今までの緊張が解け、一気に疲労が出てしまい崩れるようにソファーに体を横たえた。
そして、この5日間の沖縄での体験を思い返した。
 沖縄戦以来、沖縄の人たちは軍隊に人権を侵害され続けている。
去年初めて沖縄を訪れ平和行進に参加したとき、それまでの「観光地」のイメージであった沖縄が、「基地の島」沖縄である現実に正直驚いた。
いたるところにある米軍基地は、沖縄の人々の生活を、騒音・事故・犯罪という形で常に脅かしている。
これでは、平和な生活は沖縄では送ることが出来ない。
このことは、私たち本土の人々が、目を逸らしていることであり、聞こうとしなかったことであった。
 今年、再度平和行進に参加し、はじめて嘉手納基地包囲行動に参加したが、沖縄の人々の平和な生活は未だに得られていない。
寧ろ、なし崩し的に沖縄の米軍基地負担は大きくなろうとしている。
       この5日間で強く印象に残った光景は2つある。
1つは、平和行進2日目にキャンプ・フォスターで見た、芝生の上で犬と遊ぶ軍人とその家族の姿。
もう1つは、同じ日の夜に出会った、陽気な軍人だ。
平和行進や包囲行動とは直接的な関係のない光景だが、私がはじめて見た軍務についていない軍人の姿だった。
当たり前のことなのだが、軍人は24時間・365日軍務についているわけではなく、休息もあれば休日もある。
軍務に就いていなければ、彼らの多くは平和な生活を享受しているのだ。
米国軍人に対して日本政府は弱腰であり、日米地位協定もその効力は生きている。
その結果、沖縄の人々は米軍によって平和な生活を阻害されているのに、米国軍人は平和な生活が保障されているのだ。
強いものが、弱いものを圧迫しなければ平和な生活は造れないのだろうか?それは、本当に平和な生活なのだろうか? 沖縄は今も、基地に囲まれている。
沖縄の人々が1日も早く平和な生活を取り戻すために、私たちは沖縄の現状について様々な角度から考えなければならないだろう。
米軍基地、日米両政府、沖縄の人々の暮らし、駐留米軍兵士とその家族ets.ets….

 そして、本当に平和な生活とは何なのだろうか。


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