IMADR第7回総会
スタディツアー(インド)に参加して
部落解放同盟杭ノ瀬支部の坂東さんから
ご寄稿いただきました♪
|
は じ め に
2007年3月12日〜19日まで、反差別国際運動(IMADR)第7回総会への開催とあわせて計画された、スタディツアーインド(TAMIL NADU州)に参加してきました。
今回この計画を知ったときに行きたい、是非参加したいと強く思い、手を上げました。
IMADの総会ももちろんどんなことがされてるのか興味はありましたが、スタディツアー(インド)に参加したいと言うことのほうが何倍も大きかったことは正直な私の気持ちです。
何故そう思ったかと言うと、2004年に市子連で企画された青年・シニア交流会がインド・ダリット解放運動について現地学習し、交流を深めて学ぼうと、TAMIL NADU州にいったことがあったのと、スマトラ地震でこの地区も被害に遭いその津波の後どうなっているのか、自分の目でみてみたいと強く思ったからです。
|
1 ・ I M A D R 第 7 回 総 会
日 時
3月13日AM・9:00〜
場 所
ホテル・サミットルーム
参加者
30余名(インド、ネパール、スリランカ、フランス、日本)
内 容
(1)理事長ニマルカ・フェルナンドさんの挨拶
『まず、先日亡くなった、IMADRの前理事長と、副理事長のご逝去にともない、黙祷をささげましょう。 (参加者全員で黙祷)そして、IMADRの総会は4年に1回開催されるが第7回総会がインドで開催されたこと大変うれしく思い感謝します。』
で始まりました。
また、地域草の根運動をしてきた解放運動が、国際レベルの戦いを支えてきたことは大きいと報告もしてくれた。
(2)総会議題に沿って報告
(3)オープニングパフォーマンス
ダリットの社会活動のための演技(寸劇)を披露してくれた。
|
2 ・ ス タ デ ィ ツ ア ー
日 時
3月14日〜17日
場 所
・ダリット津波被災地(ムッチクッポン村/チェンナイ)
・ダリット津波被災地(ビライチャワディ村/ポンディシェリー)
・ダリット津波被災地(パンチャイヤット村/ポンディシェリー)
・ダリット津波被災地(カナル村/ポンディシェリー)
・漁民の村津波被災地(メルクッパン村/ポンディシェリー)
・SRED(農村教育開発協会)(アラコナム村/カンチープラム)
参加者
1班(8名) 2班(11名)
内 容
津波の被害を受けたダリットの村、農村地域のダリットの村、SRED事務所など訪問し、それぞれのリーダーから被災状況や人々の生活やさまざまな差別の実態について状況説明をうけ意見交流を行った。
|
【1】ダリット津波被災地(ムッチクッポン村/チェンナイ)
ここは、ベンガル湾に面した漁業を中心にした村です。
津波が来る前は漁業で生計もたてられていたし、町での仕事もあった。
しかし、津波のあとは海にも出られず、また船や道具も流されてしまい、まったく仕事がない。
また家も流されて、住むところもなく、多くの家族が寄り集まってやっと生活している状態でした。
そこで、ダリットのリーダーが、集まってきた人たちに話を聞いていると、直ぐ傍に上位カーストの見張り役がいるからあまり話せないといって口を閉ざしてしまいました。
皆が帰った後いろんな事を言うと怒こられるとの事でした。
またダリットだけが、特別な支援を受けていないか、また優遇されていないか、チェックしているのだそうです。
|
【2】ダリット津波被災地(ビライチャワディ村/ポンディシェリー)
ここはフランス領であったためフランス人が多く住んでいるその土地をとおり抜けビライチャワディ村にいきました。 そこは、すごい津波の被害にあった村でした。 津波の被害にあって、2日経過しても政府・行政やNGOの支援は一切ありませんでした。
ただ、バナナの葉で家を建て直しをしてくれたけど、1回の雨で直ぐこわれてしまったそうです。 食料もなく、たいへんな状況をファティマ(SRED)に相談したところ、すぐに米と豆、衣類の支援をしてくれたと、たいへん感謝していた
|
【3】ダリット津波被災地(パンチャイヤット村/ポンディシェリー)
この村に着いたときは日が落ち辺りはすでに暗くなっていた。 30世帯の小さなダリットの集落です。 子どもも大人も村の人全員で向かえてくれたようす。 言葉も通じないのにタミール語で私の目をしっかりみつめて堰を切ったようにしゃべりかけてきた。 その内容は、行政やNGOから見放されてきた村であると言うこと、また自分たちダリットには、隣村の漁民に対する支援の10%程度にとどまっている事、津波の被災リストにあなた方の村は載っていないと言われ世界から見放されたように感じたとも訴えた。 この村にもSREDのメンバーがいて、その人から連絡してもらいようやく緊急支援を受けることができたそうです。 夜だったので、私たちのためにすべての電気を使ったたに、ヒューズがとび電気が切れた。 突然の事にビックリしましたが、真っ暗な中にいまにも落ちてきそうないっぱいの星に私は不謹慎にも感動せずにはいられませんでしたしました。 厳しい話のなかで、心がほっとした時間でもありした。 でもこの感情は私達(私)だけでしょう。 この村の人たちは、今はそんなことも考えられないでしょうから
|