■ 2007,01,23 多少疲れ気味、そしてパニック。
今日は、朝9時30分の出発でのんびりしてしまった。ただ、全員疲れ気味である。
私は、むきになって写真を撮ろうと考えていたが・・・、途中、スパーマーケットに立ち寄りウロウロしていた。
日本でよくあるようなスーパーマーケットで商品も豊富。 が、ケニアの人が殆ど見えない。
会場についても緊張感があまりなかった。
ワークショップ「搾取的移住・人身売買prt-2」は、
11時頃からの始まりであったので、少しのんびり。
気付いたら、ボックスの椅子が殆どなくなっていた。
私は、ワークショップの準備を手伝いながら、暇を見つけては写真を撮った。
強烈なアフリカン音楽とダンス、会場のあちこちでパフォーマンスが繰り広げられていた。
インドのダリットの人たちの太鼓と寸劇も印象的であった。
ワークショップは、一昨日に続いてのもので、とくに印象深かったのは、ナイジェリアのビシ・オラテル・オラベギ(人身売買やHIV感染者の救援活動をしている)の発言である。
人々は、人身売買についての関心がない。 自分が、実は売買されているにもかかわらず気付いていない。 ケニアに来て色々と聞くが、人身売買という言葉すら知らないという・・・。 また、貧しさから外国人労働者としてナイジェリアにもたくさんいるが、とくに女性の場合性的虐待を受け、妊娠し、解雇され自国に帰っても受け入れる状況もない。 こうした女性や貧困にある女性たちは、HIV感染者の相当な部分を占め、病院で治療すら受けていない。 このことが、HIVを蔓延させる大きな原因になっている。
しかし、こうしたことが他人事として無関心になっている。
ファテマからは、一つは、貧しいダリットの少女は、神の花嫁として売られるが、その後、村に帰ったときに、男性からの性的虐待の対象になっている。 また、村から外に出て働くが帰る場所がない。 こうした女性を受け入れる社会状況を作らなければならない。 さらに、私たちは自分で作った葡萄を食べたい。 自分で作った材料でカレーを食べたい。 しかし、政府と先進国は経済改革として、外国の不味い食糧を食べることを強制する。
村に企業が進出しても私たちとの話はない・・・。 と強い口調での訴えがあった。
さらに、ニマルカから、「アジアは連帯しなければならない。 しかし、搾取的移住や人身売買の視点でいえば、日本は、アジアの労働者を搾取と差別のターゲットにしている。 」と指摘がされ、「南北問題の視点でいえば、南同士の単なる情報のネットワークだけではなく、そうした問題と闘う連帯が必要。 」と発言があった。
このワークショップが終わってからが大騒動に発展する。
全員、相当疲れ気味・・。 M君は下痢でダウン寸前。 騒動は、Bさんからである。
自分の大事なカメラ(父、憲生に買ってもらったばかりの高級品)とIMADRのカメラが盗難にあう。
続いて、ニマルカのパスポート入りのバック。
私の現金(ありったけのドル)とカードが入った財布と携帯電話。
武者小路先生の携帯電話が次々と無くなる。
あぁ・・・パニック。
この日、会場内で2,000件くらいの盗難事件があったらしい。
私は、カードを止めるために必死。 清吾に電話するが肝心なときに出ない。
あっ、Fちゃんがいる、彼はやはり繋がった。 カードの件くれぐれもお願いする・・・。
私、気力をなくしてホテルに帰り、夜の行動は取りやめ(別段何も予定がない)。
ビールを飲みながら、この文章を書いている・・・情けない。
それから、昼間、知人への土産(木彫りの人形)を二個買っていました。
明日、事務局の男性への土産のTシャツくらいは買おう・・・、シリングはまだ少しある。
・・・寝よう!
そう考えていた時、IMADRのHさんが夕食を買ってきてくれた。
それを持って、二人でレストランに行き、ポテトとビールを頼んだ。
買ってきてくれた夕食をレストランの皿に盛り付け食すると、今までで一番おいしかった。
インゲン豆の煮物である。
雑談をしていると武者小路先生がやってきて、仲間入りして1時間ほど雑談をした。
そういっても先生は真面目なんで、気付くと運動のあり方や未来についての話になった。
ちょっと元気が出て寝ることにした。
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