■ 2007,01,22 私の本番。
朝、6時半に起床。7時からレストランで朝食を・・・。
昨日のスクランブルが不味かったので、スパニッシュ・オムレツというものを注文した。
料理名の意味は不明だが、味はまあまあだった。
しかし、ソーセージがなかったため、猫に恨めしそうな顔をされた
(前日、付け合せのソーセージを猫が全部平らげた)。
食事中に、通訳のジョセフ・ハンキングズ君(通称、ジョー)と発言の最終チャックを行った。
その後、出発までの間、ホテルの周りをウロウロである。
私の参加する「職業と世系の差別」というワークショップは、
朝イチ8時30分のスタートである。
時間が来たので出発。 昨日とは、相当違う気分で・・・。
月曜日のためか、街中は、人と車のラッシュアワー・・・。
会場に着くと直ぐに準備にかかった。
「職業と世系(部落差別やカーストなど生まれや門地)による差別」のワークショップは、予定より30分遅れて9時にスタートした。
コーディネーターのIMADR理事長、ニマルカ・フェルナンド(スリランカ)からIMADRの活動と国連の動きをベースに、このワークショップを持つことの意義、とりわけアフリカでの開催について問題提起がされた。
まず、ペンダ・ムボウ(セネガルの歴史学者)からの発言があった。
ペンダは、セネガルにもカーストのような身分が存在すること、王国以前は、限られた職業に従事していてそれなりの権益もあったが、王国崩壊後、厳しい状況に追い込まれている。 現在も差別があり、調べられれば姓名でわかってしまう。
被差別階層のなかにも学者や政治家もいるが、それらの人の多くは、黙って語ろうとせず、自分の出身を隠している。 国際的な連帯が必要であり、若い世代に期待を持っていると述べた。
次に、ブルナド・ファティマ・ナティサン(インド)である。
ファティマは、以前和歌山に来たことや子ども会と交流もあってお馴染みの人・・・。
ファティマからは、ダリットの形成されてきた歴史的経緯や差別の状況、とくに居住や仕事(例えば、人間の糞尿を素手で処理する仕事)の状況、生命まで常に脅かされていることや女性のレイプが公然と行われているなど、法的には禁止されているカーストが現実に生きている状況が報告された。 さらに、運動の中で様々な取り組みを行ってきていることの報告もあった。
続いて、同じインドのマギメイ・アパクッタイから、ダリットに対する様々な差別行為の状況について説明がされた。
次は、私の番である。
私は、部落差別の歴史的状況、部落解放運動の経緯と意義さらに現在の状況と課題について報告した。 とくに、水平運動や水平社の綱領を例に出し、被差別当事者の自覚や行動がなくては何も変わらないことや、地名総鑑や身元調査をはじめ現在もなお厳しい差別があり、「人権侵害・救済法」制定運動に取り組んでいることを話した。
最後の発言者は、ピーター・プルーヴ(スイスの宗教家で人権活動家)である。
ピーターから世界の2億人以上の人々が、日本の部落差別やインドのカーストなど「世系による差別」を受けていること。 とくに最近、セネガルやトーゴ、ケニアをはじめアフリカ各地でもそうした差別の存在が明らかにされている。 こうしたことをふまえアフリカとアジアを基軸に国際的な連帯が必要であることが発言としてあった。
この後、参加者からの発言や質問を受け、最後に、このワークショップのまとめとしてニマルカ理事長から「部落解放同盟の活動からIMADRが結成され、その活動の結果、カーストをはじめとする差別の状況に対する国際的な関心がまし、実態的な改善も若干進んできた。 」「法律は差別を禁止しているが、依然として差別の事実がある。 今後、さらに国際的な連帯と運動を強めて行きたい。 」と締めくくり、ワークショップを終えた。
午後からは、もっぱら見学というか、世界社会フォーラムを楽しんだ。
昼食のこと、会場のいたる所で仮設レストランがあり、非常に便利である。 料理は、皿にライス、チキンと玉葱の煮込み、硬いローストチキン、先住民族の独特の野菜煮込み(ほうれん草の原種ぽい)それにトマトソースをかけ、トウモロコシで作ったナンみたいなものを添える、これで400シリング(日本円で600円から700円程度)どの店も殆ど同じメニュー。 美味いか美味くないかは測定不能。 これしかないのだ。
あと、露天やテントの土産屋を冷かしたが、マサイ族の民芸品が目に付く・・・。
結果、ショールを8枚も買ってしまった。 高い・・・。
夜、17時30分から始まった「東アジアの少数者の問題」についてのワークショップへ参加した。 英語が、まったく分からなかったが、暇だったし・・・、IMADRの関係する催しだから一応出てみた。
スリランカ、バングラディシュ、パキスタン、インドの代表たちから発言がされた。 つまり職業、生活が圧迫されている事情や海外へ出て労働をするということで、低賃金や無権利の状況、さらに南アジアの労働者同士の不当な競争があるということであった。 これまでのワークショップで話された内容とも関連すると感じた。
ワークショップが終わる頃、もう場内も外も真っ暗であった。
帰り、仮設レストランで食事を済ませホテルへ・・・・。
なお、土産を買いたいがシリングが不足のために、IMADRの事務局に、両替してもらった。
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