アイヌ民族問題について
(1ページ目) (2ページ目) |
アイヌとは「人間」を意味します。 アイヌ民族には、たくさんの神がみが存在します。 自然のさまざまな現象にそれぞれの神があります。 動物にも神があり、植物にも道具にも、そして家や山、湖にも神があります。 アイヌとは、そうした神がみ(カムイ)に対する人間として位置づけられます。 そして、大自然と共生し、神に祈り、感謝して生活しているのです。 つまり、アイヌ民族の自然観(価値観・存在感)とは極めて雄大なものです。 また「ウタリ」とは「同胞」という意味です。 |
アイヌ民族の起源については、さまざまな説があるといわれています。 古代、数万年前に南からやってきたモンゴロイドが琉球や日本列島、樺太(サハリン)、千島列島に定住し縄文文化を育んでいきます。 しかし、弥生の頃に北方の多くのモンゴロイドが朝鮮などを経て日本にやってきて急進化し、弥生・古墳文化を広めていきます。 これが和人、つまり「日本人」であるといわれています。 そして、これらの影響を受けずに小進化してきたのがアイヌ民族であり、琉球の人びとであるとされています。 以前の歴史では、石器ー縄文ー弥生ー古墳時代と進化してきたとされていましたが、最近になって縄文と弥生が並立していた、つまり東北地方を中心に独自の「縄文文化(個性の優先・自然との共生・平等観)」の存在が明らかにされています。 さて、北海道を中心とする縄文人(アイヌ)は、本州を中心とする和人の文化とは別に、独自の文化的進化を遂げてきました。縄文文化ー続縄文文化ー擦文(一部オホーツク文化の影響を経て)文化−アイヌ文化という流れで14世紀頃にアイヌ文化が形成されたといわれています。 |
古い記録は残っていませんが、1800年ごろの26,250人から激減しています。 最近になって24,000人弱の人が北海道に住んでいるとされています。とくに、和人の収奪が露骨化した1820年頃に激減した原因は、和人による強制労働と伝染病であるといわれています。 アイヌ民族は、かつて北海道を中心に東北、樺太(サハリン)千島に暮らしていましたが、明治以降の戦争によって北海道に住むようになっていました。 そして戦後には北海道を中心に全国に住むようになりました。 |
アイヌ民族の歴史は、まだまだ明らかにされていませんが、本州では弥生文化の発展の中で権力者が生まれ、国が作られた頃アイヌの地では縄文文化の頃でした。 やがて本州で一つの国家への統一(大和朝廷)が図られていた頃に、アイヌの地では弥生文化の影響を受けつつも社会の仕組みは縄文時代そのままでした。 また主食についても狩猟・漁労や自然のものを採取していました。 この頃を続縄文文化の時代といわれています。 やがて本州を中心に律令国家・大和朝廷が成立した7世紀ごろに、本州の影響を受けた新たな文化様式が生まれています。 擦文文化といわれるものです。 この擦文文化は、途中でオホーツク文化といわれる北からの影響を受けつつも13世紀末期まで続きます。 14世紀に入って(室町時代)アイヌ文化として確立されていきます。 しかし、15世紀になると北海道南部に和人の勢力が次第に強化され、アイヌ民族との衝突が起きてきます。 アイヌ民族は、コシャマインの戦い(1457年)、シャクシャインの戦い(1669年)、そしてクナシリ・メナシの戦い(1789年)によって完全に和人の支配化になり、抑圧と搾取の中で明治維新を向かえます。 |