障がい者差別問題について
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「障がい者って」という質問は、簡単なようで考えれば考えるほど難しいのです。 それは、さまざまな捉え方考え方があるからです。 国際的には、「『障がい者』という言葉は、先天的か否かにかかわらず、身体的または精神的能力の不全のために、通常の個人または社会的生活に必要なことを確保することが、自分自身では完全にまたは部分的にできない人をさす」とされています。 しかし、私たち日本の社会では「身体や精神が正常に機能しない状態または人」という考え方になっています。 また公的には、「身体障がい者手帳」「療育手帳」によって「障がい」の有無が規準になっており、推定で490万人の人がいます。 つまり、個人がもつ能力や機能のみを重視した捉え方であり、結果的には「○○をできない人」という考え方になり、「他人より劣っている」「不幸な人」「かわいそうな人」というマイナスのイメージになりがちです。 私たちは、「障がい」を個人の問題として考えるのではなく、人間がさまざまな状態をもつことは当然のことであり、「障がい」を特性(個性やクセなど)と考えて、「障がいが不幸ではなく、障がいがあることで生きられない社会が障がい」と捉えることが大事です。 つまり、脚が不自由な人の問題は、いつでも自由に移動できないことです。 しかし、サポートする人間関係と車椅子や道路をはじめとする環境が整備されれば問題が解消され、もはや不自由ではないのです。 問題は、「障がい」を理由に基本的人権が保障されないことなのです。 |
「障がい者」が歴史的にどういう風に見られてきたかを考えてみると、縄文時代には社会の一員として共に生きていました。 しかし平安時代になると、宗教観とも関わって「罪の報い」と捉えられてきました。 その後、さまざまな状況の中で一部の人びとは独自の文化や技術を身につけ生きてきました。 明治に入ると近代社会への道、つまり「殖産興業」「富国強兵」政策のなかで、「働けない者」「兵士になれない者」つまり「役に立たない」「不必要な存在」とみなされたのです。 |
次に、言葉の問題についてですが、私たちの社会では他人の人格を傷つけるさまざまな言葉があります。 日常使っている言葉やことわざに、ある事を表現するために「例え」や「比喩」で差別語といわれる言葉が使われています。それも「マイナスのイメージ」での使い方です。 差別語や表現には、三つのケースが考えられます。第1は、「障がい者」本人に直接中傷するためのものです。 第2に、「障がい者」本人にではなく、誰か他人を中傷・攻撃するためにもちいた場合があります。 第3に、その言葉が日常的に使われており、いわゆる何気なくという場合です。 |