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イ ン タ ビ ュ ー 雑賀=雑賀良彦(当事者) 伊藤=伊藤静美(麦の郷 理事) Q=M口亜紀(インタビュアー) Q=渡部伊珠美(インタビュアー) ◆発病のきっかけQ 肺結核で入院されたということですが・・・ 雑賀 肺結核を治療するために入院していたんですが、幻聴が聞こえて眠れなくなったので精神科の病院に転院しました。 Q 当時、相談できる人は? 雑賀 いなかった。 Q 精神科病院では、閉鎖病棟に入ったとお聞きしましたが。 雑賀 閉鎖病棟というのは、部屋に鍵がかかっいて、窓には鉄格子もあって外に出られないようにしていた。 Q 家族の面会など、制限されていたことはありませんか? 雑賀 当時、1週間に2回、500円の買い物をしていました。 家からの面会は、病院に小遣いを入れるだけで、誰も面会にこなかった。「面会に行くと退院の事を話される」と困るので面会にはこなかった。父親からは「一生、ここ(病院)におれよ」と言われていた。家に帰る場所もなかったし、仕事も続かないし、一生病院にいてたほうが食べていけると思っていた。 Q 入院患者との交流は? 雑賀 テレビをみたり、たばこを吸うたり・・・ Q 退院の話はしましたか? 雑賀 しなかったね。家族が面会に来る人と来ない人、さまざまでしたから。一生、病院にいる人もいるし。退院する人もいるし。 入院患者と話すことって「刑務所なら出られるけ ど、ここにいたら死亡退院やな」と話てた。 Q 手記の中に「食事を横取りされる」と書かれていましたが・・・ 雑賀 食べていたら、おかずを取りにくる人が多かった。誰も面会にこないので、(差し入れなど)お腹すいてんのやろな。ご飯の前にお茶をとったりする患者さんもいた。(薬の副作用でのどか乾くので)そうするとご飯のときにお茶がないんよ。大きい茶瓶で2つあるんやけど、全然足らなかった。 Q 看護師さんの態度はどうでしたか? 雑賀 看護人(入院患者はそう呼んでいる)は、退院しないのをわかってたし、家族も「一生ほりこんでて下さい」やし。 伊藤 病院は、患者を「収容」してる。鍵をかけて自由を奪ってるわけやから。入院患者も一生入院するんやと思い込んでる人もいるし、今もまだ退院してない人もいてるし ね。 戦後60年、ずっと入院してる人もいてる。この麦の郷ができてなかったら、雑賀くんも一生病院にいてたかもしれません。 雑賀 親父もようゆうてた。「一生、病院にいてよ」と 伊藤 雑賀くんだけ違う。入院してる患者はみんな「病院にいてよ」と言われてた。だから映画「ふるさとをください」でも訴えているんです。 Q 症状がひどいときは、どういう治療をしてたんですか? 雑賀 保護室に入って眠らされていた。 Q 患者と治療方針を相談する? 雑賀 相談はしない。外泊したり退院してて体調を崩したら、車でむかえに行って注射をうって眠らせて病院に連れていかれる人が多かった。 Q 保護室はどんな様子ですか? 雑賀 畳が一枚とトイレの穴、鍵はかけられる。閉鎖病棟のなかで、さらに鍵をかける。絶対に出られなかった。 伊藤 こんな状況を知ってしまって「人間としてほっとけやん」と思った。知らないことに罪はないと思う。 知ってしまったら「ほっとけやん」。国や行政、病院がしなあかんことやのに。 Q 映画の中の施設長のモデルは伊藤さんですか。 伊藤 はい。「ほっとけやん」と思ったんです。あったらあかんことが、現実にあるんやさい。 |