◆映画についてQ きょうされん30周年記念で制作されたんですね。 伊藤 きょうされん20周年の時にプロデューサーが、「どんぐりのいえ」(視覚障がい者)を映画化して、30周年目は精神障がい者の実態を社会にわからすために、ジェームス三木さんを連れてきてくれた。 麦の郷では、顔も名前も出しますということを伝えていたから、プロデューサーが「ここだ」と。 Q 顔も名前も出すことに抵抗は? 雑賀 今も入院している患者が退院できたらええな・・・ と思ったので戸惑いはなかった。 僕が入院してた時の患者がまだ入院してるから、そのために。 伊藤 37人みんなが私を手伝うと言ってくれた。 麦の郷のみんなは、自分だけがよければいいとは思ってない。 わかってもらえるならばという思いで出演してくれた。 Q 雑賀さんは、希望の星と言われてるんですよね。 伊藤 そうなんですよ。今では自分が入院してた病院に配達にいってるんです。 雑賀 今日も(入院患者さんと)会ったんよ。 「こんにちわ」だけしか言わなかったけど、まだ入院してる人がいっぱいいてた。 伊藤 雑賀くんは、30分もかけて麦の郷に出勤してきて、結婚して。病院の先生や看護師も再発せんと働いてることがすごいといってる。 ってことは、今までの入院はなんやったん?と思いますよね。 雑賀 病院で嫌な思いしてるからもう入院は嫌や。 体調が悪くなったら、生駒先生ところにいくし、なるべく悪くならんようにしてるんやけどね。 伊藤 体調を崩した時でも、すぐに病院に連れていかずに、ここで様子をみます。 ソーシャルワーカーもいるので、ここでショートスティする。 どんなことでも当事者から学んでいったことです。 Q 撮影時、体調はどうでしたか。 雑賀 長いこと待ったので、横になっていました。 伊藤 監督は「なんでみんな出てくれるん?」と驚いていた。 映画ってこんなに時間がかかるんかと驚いたけどね。 ◆撮影を経験されて雑賀 大変やなと思った。 撮影と作品のギャップあった。 こんなにたくさん撮影してるのに、ふりわけしたり、1回撮って何ヶ所にも使って、すごいなと思った。 場面で気持ちが違うのに俳優さんはすごいなと思った。 伊藤 撮影現場では、「気持ちを作って」と専門用語が飛び交ってた。 お芝居って大変なんだと思った。 彼らは、一番いい時代を病院で過ごしたから、今を精いっぱい楽しんでほしい。 撮影中に役者さんが「ほんまにこの人、精神病ですか?」と聞きに来た。 「あんた自分で聞きなさい」と言っても「体調崩されたら困るから・・」と。 きっと知らないから怖いんでしょうね。 Q 「知らないことの怖さ」は私も実感している。 雑賀 精神障がいは誤解されやすい。怖くないのにね。 Q 池田小学校の事件では、多くの仲間が体調を崩されました。 そんななかで映画に出演することへの不安は? 雑賀 精神科の薬は眠くなって動けない。 喉乾くし精神科の薬はきついからじきに寝てしまう。 うちの父は「精神科の薬はどこに効くのか」、「調子は悪くないか」とよく訪ねた。 父も肝臓悪くなって、病院に入院してちょっとは変わってきた。 「入院ってこんなんやんな」とわかったみたい。 入院する前は「一生病院いてよ」とよく言われたけど。 Q 退院してから、お父さんとお会いになられましたか。 雑賀 二回目のお母さんに息子も孫もいたので会わなかった。 身内に精神障がい者がいるってなったら迷惑かかるし、今は引っ越しをしていて、どこにいるのかはよく知らない。 |