和歌山県議会議員の山下直也さんは、現在3期目の中堅議員で、『人権問題等対策特別委員会』の委員長として、人権問題にも熱心に取り組まれている議員です。 今回、山下議員の素顔を少しのぞかせていただきました。 |
イ ン タ ビ ュ ー A=山下直也さん Q=インタビュアー Q:山下さんの幼少時代はどのようなお子さんでしたか? A:今でもそうだけど細くて色白で、小児ぜんそくを患ってたんだけど、活発な野球少年だったんですよ。 今よりも緑や土が多くて木登りなんかもよくしましたよ。 中学・高校のときはサッカーばかりでしたね。 高校は県立高校の受験に失敗しまして神戸の育英高校に行ったんですよ。 震災の被害を受けた長田区に3年間下宿しましたね。それが初めて親元を離れた生活でしたね。 Q:同和問題や部落差別との関わりについてお聞かせ下さい。 A:ちょうど神戸に下宿してた頃ですが、高校で僕と一番仲のよかった友達がきっかけかな。 今は消防士でがんばってる人なんだけど、当時彼の実家が西宮で、よく泊まりに行って、彼の両親にもかわいがってもらったんですよ。 その彼の家のまわりに団地があって「下宿からこっちへ引っ越せよ。家賃安いぞ。」と聞いて、意味もわからず「ええなぁ。」と言ってたんですね。 3年生の時、消防へ就職すると決めた彼から話があると言われて、その時はっきりと知りました。 部落差別ということを。 彼が言うには「つきあっている彼女から結婚したいと言われてるんやけど、あかんのや。」僕は「なんでやのん、相手の親が反対してるのか?」と聞いたら「いや、うちのおやじがあかん言うのや。」それで、彼は自分が被差別部落出身であるがゆえ、一般地区の彼女とは結婚できないと。 それは一般地区から嫁いできた母親がそのことで大変苦労してきたからだと。 彼の父親とも話しましたが、「息子の嫁には同じ苦労はさせられへん。」ということでした。 好き合ってる同士が結婚できないなんておかしいと思いましたが、正直、これから先は僕には立ち入れないのかぁとも感じましたね。 それが、自分なりに部落差別について真剣に考え、おかしいぞという気持ちが出てきた時でした。 Q:その後、どのような思いで議員になられたのですか? A:高校で浪人して、大学で1年留年して2年だぶったわけですが、卒業して和歌山市役所に就職したんです。 3年間は市民会館で文化行政を経験して、その後7年間は広報公聴課にいたんです。広報では市民との対話集会や、市長への手紙、市政バスの添乗、また街に出て市民の行政に対するいろんな意見や要望を聞きました。 その中には無理難題もあったけど、「そう、そのとおり!」という貴重な意見もありましたね。 それをそれぞれの担当課へ伝えるんですけど、役所の縦割り行政ではできないこともあったんですよ。 「そんなもんできやんわ」と言われて腹をたてて、担当課長とつかみあいになったこともありましたね。 その後、自分ところの課長にも叱られるんですよね。 そういう壁を目の当たりにしてくやしい思いがあって、それだったらその壁をとりたい! 街のみんなの正しい意見を活かしたい! そういう思いで市議選に立候補したんです。 議員になっても広聴マンとして働いていたときと一緒ですよ。 街の声を聞いて、現場へ走って、市や県の担当課に話をするんですから。 だから広聴業務は今の私の仕事の基本姿勢、原点ですね。 |