Q:先日、県議会の自民党県議団に移られたと聞きましたが? A:もともと市会議員の時は自民党だったんですよ。 当時、市議会は商品切手発行税という問題で揺れてました。 和歌山市のデパートで商品券を買ったら2%の税金がついていたんですよ。 同じ品物を電車に乗って大阪のデパートで買うのと値段が違うんですよ。 それはおかしいと、廃止の意見が出てきたんだけど、自民党の市議でも廃止か存続かで意見が分かれたんですね。 消費税も導入され、僕は、いわば税の二重取りじゃないか、それはおかしい、廃止だと訴えて、自民党を出ることになってしまったんです。 結局、後の議会で廃止になって、やっぱり自分の考えはまちがいではなかったと思いましたね。 そのあと県議選へ転選して、はじめは、現 神出海南市長さんと現 松本有田市長さんとの3人で「新保守クラブ」を立ち上げて活動してたんですが、お二人とも市長になられて、この4月の選挙後は6人で再スタートしたんですよ。 でも、会派の中でいろんな意見の食い違いが重なったことや、自民党からのお誘い、支持者からの自民党へ戻ったらという意見、また一人でもがんばってよ、いう意見、自分なりにいろいろ思い、悩み、結果、自民党に戻ったわけです。 ただ、議員としてすべての支持者の方々に、事前にそのいきさつや自分の思いをきちんと伝えられなかったことは申し訳なく思いますね。やはり議員としては説明責任を果たすということは重要なことですから。 Q:山下さんは現在、県議会の「人権問題等対策特別委員会」の委員長をされてますが、以前の「同和対策特別委員会」から名称が変わったいきさつや委員会の内容等お聞かせください。 A:「人権問題等対策特別委員会」は、委員11人で構成されていて、さまざまな問題提起をしたり、実際県下でおこっている問題については県に話し合いを求めていく委員会なんです。 以前の同和対策特別委員会の頃から、僕はずっと席をおいてやってきたんだけど、平成14年6月に現在の名称に変わったんですね。 その時もかなり議論がされましたよ。 私も含め、当時の委員の中には名称を変えることに反対の立場をとった人もいましたよ。 依然として部落差別をはじめいろんな差別がある中で、なぜわざわざ同和対策という言葉をはずさなければならないのか、納得のいく説明はもらえませんでしたね。 県がいうには、全国の多くの都道府県議会において、すでに「同和対策」という名称が変更されており、残っているのは和歌山を含めほんの数県だからと。 たとえ和歌山県だけ残っても、差別事件がおこっているし現実に部落差別はあるんだから、名称を変更しないでいこうとかなりがんばったんだけど、結局はだめでした。 委員会の内容は変わらないんだけど、なぜそんなに名称にこだわったかというと、名称を変更することによって焦点がぼやけてしまうのじゃないか、問題をすりかえられるんじゃないか、と心配したからなんです。 もちろん部落差別だけじゃなく、男女間の差別、在日外国人に対する差別、障害者差別などもあるわけだから、同和問題だけに取り組めといってるわけじゃない。 でも僕自信は基本にあるのは同和問題だと認識しているので名称にこだわったんですよ。 僕は、名称は変わっても「同和問題をはじめとする人権問題〜」という意識で臨んでいます。 Q:和歌山県の人権に関わる現状についてどうお考えですか?また、抱負などお聞かせ下さい。 A:人が生まれながらにして等しくもっていなければならないはずの人権というものが、ほんとうに保障された社会だと思いますか?同和問題はもう終わったと思いますか?僕は決してそうは思いません。 実際、差別落書きや投書、インターネットを利用した悪質なもの、現職公務員がおこした差別事件、それに、男女差別、障害者差別、ハンセン病やエイズ患者に対する差別などがあるのが現実なんですよ。 そんな差別なんかない社会になるまでがんばっていくことが僕の責務だと思ってる。 身近なことでは、子ども同士のいじめなんかもそうでしょ。 子どもでさえお互いの人権や人格を傷つけることがあるんです。 はじめは1対1のもめごとが、誤解があったり、人を巻き込んだりして、それが大きくなったものが国同士の戦争になっていくと思うんですよ。 それを思うと、お互いの人権を尊重して相手を大事に思うことが平和な社会をつくる一番の基本だと思うわけですよ。 生活環境は改善されたところも確かにありますよね。 ただ、目に見えるところはよくなっても、本質的な意識改革がされてないままじゃ意味がないと思うんです。 県としては住宅の立替えや道路整備は県土整備部が、奨学金については教育委員会が、それぞれ対応していくと言ってるようですが、ハード面じゃなく、差別意識をなくしていく取組みに対する予算が見えにくいように思うので、その点は県に訴えていかなかればと思います。 差別がある限り『安心・安定・安全』な街にはならないんですよ。 すべての差別がなくなるまで、粘り強くやっていきますよ。 それが「住んでてよかった」和歌山県になっていくと思いますから。 それと、『安心・安定・安全』な街ということに関連するんですが、和歌山県として大きな課題の一つとして、きたるべく大地震に備える使命があるんです。 この問題に対しても僕はすごく心配なので、議会でも取り組んでいかなければと思ってます。そこでも、やっぱり部落差別がみえてくるんです。 建物の強化、道路の整備などハード面で災害に備えたとして、高齢者は自力で逃げることができますか? 避難場所の案内看板があったとしても、差別により字を奪われた人に役に立ちますか? 行政として必要な施策を知るためにも、まずそんな実態を知らなければ、人の命を守ることはできないと思いますね。 あと、開かれた議会をめざすため三重県や宮城県でも取り組んでいるいろいろな『議員提案条例』を和歌山でひとつでも提案・実行していきたいですね。 インタビューを終えて... 議員というと、なんだかとっつきにくい人のように思ってましたが、気さくな雰囲気の方でした。 子どもの頃の話はとくにおもしろく聞かせていただきました。 お忙しいところ、どうもありがとうございました。 今後ますますのご活躍を期待しています。 |