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Q,具体的に勤務地・・・事務所は構えておられるのですか?
A,1997年の2月3日からの出発でした。
その時事務所と言うか、私の机は、市役所の福祉課に所属して、そのときは隔日やったんです。
そして3年間の仕事実績が認められて、運動団体からも話してもらい嘱託職員として毎日勤務することになりました。
そしてその後は浮島隣保館へ、やはり地域の人との関わりをより近くするようにという配慮で浮島隣保館へ机を置いてます。
でも、市役所の福祉課でも机を置いていて、そこで出勤簿を押しにいきます。
それと、いろいろな手続き申請があるから、自分では何も知らなくてもきっかけだけ作ったら、法律やからそれにのっとってすることだし、一つ分かったらそこでしてもらって、そこで分からなかったら、次の窓口へ辿り辿ってという感じで申請しています。
また、高齢者に限らず無年金者をなくすることも行っています。


Q,訪問先は主にどのようなところですか? また、対象者は?
A,対象は65歳以上の高齢者がメインになっています。
一人暮らしの高齢者。
新宮は元々、4つの部落でしたが、住宅立て替えに関わって分散して7地区ににまたがっています。
その7つに地域の隣保館を1人で廻っている。
だから1人では無理なので、人数を増やして欲しいと要求しているのですがなかなか難しい。
高齢者問題は部落だけの問題ではなくて、全体の問題であるので私のような相談員の仕事の必要性を新宮市としてもっと考えていくべきだと思います。


Q,仕事のなかで感動したこと・良かったこと・困ったことなどを聞かせてください。
A,介護認定を申請して認められたとき。
病気が治ってきたとき。明るい顔が見えた時。
それと、ずっと廻っていく中に、逆に高齢者の方から「あんた単車に乗って廻ってるんやから気をつけてよ。」と言う言葉。
それが、一番嬉しい。
また、反対に「おばさんに慰められるよ」って時がすごく良かったな・・・って感動します。

困ったときと言うか辛かったときは、訪問していた相手が死亡したときでした。
介護保険に認定して認められてもらって、それの制度を受けて、これで自分が安心した生活ができると思ったら、病気になって入退院を繰り替えすうちに・・・、癌の人もいるし、痴呆にかかっていく人もいるし、ケガしている人もおるし、その経過が始めから分かっているだけに、亡くなったときが一番辛かった。
辛いけど表に書いているのがこれだけの人数。こうしてつけてなかったら分からん。
でも、書いてたら記録に残っていくから、思い出すと身につまされる事が多くあります。
(インタビュー中に表を拝見させて頂きました)


Q,松根さんが相談員として携わってこられたなかで、成果と課題をどのように感じておられますか?
A,この仕事は法律を生かした仕事やから、枠にはまればみんな聞いてもらえる。
市役所の人といっしょに行って「この人やったら障害者手帳とれるで」といって取れた人もいる。
医者は病気を治してくれるけど、制度的なものを「申請しなさい」とは言ってくれない。
私はそのときの補佐役。
先生と相談ながら障害者手帳をもらえるようにアドバイスして申請する。

私は一つの窓口に行ってあかなんだら次の窓口へ行く。

障害者の制度を受ける時には、その制度を利用する。その人が生活保護者やったらその窓口に聞く。

それであかなんだら高齢者のポストに聞く。
それでどこからか制度を引っ張ってきたら受けれるという手筈。
法律やから案外しやすいんです。
今から掘り起こすということやったら「こんなことがあるんやけど、こんなことしてくれ」という必要がある。
でも制度や法律がなりたってるんやからどっか探せばどこかにいい知恵がでてくる。
私もうるさいくらい、いろいろな窓口を廻るから。
そしたら助けてくれる。
それは、自分が市役所の中にいるから、融通も聞いてもらえるんかなと思ったりもする。


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