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マサマ


ダリットのコミュニティーでは、貧しい家庭の中で生れてきた少女が重い病気にかかった時に、その村の中にあるマサマという神に預けられます。
病気が治るように祈りを込めて預けられ、病気が治った後、その少女はマサマとなり、彼女自身の意思で結婚することはできなく、神と結婚したという認識のもとで公共物として扱われます。

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マサマ(TNWF掲載内容へリンク)
マサマ(Yahoo!Japan検索結果へリンク)

マサマの女性からの証言


私の名前はレヌカです。

マンガチェリーというダリットの村から来ました。
私の村には6人の女性がマサマとして村にいます。
私は生れてから3日後に重い病気にかかり、両親が私を寺院に預けて、その後病気は治りました。
初潮のとき、マサマという神と結婚することになりました。
結婚のお祝いのセレモニーを村の中で行った時、すごくいいご馳走を振舞われ、父親が火の中を歩いたりするお祭りみたいなセレモニーがありました。

女性は自分の好きな男性と結婚することができると思うんですが、マサマと結婚した男性は死んでしまうという言い伝えをみんな信じていて、好きな男性が出来たとしてもその男性は「おまえと結婚したら死んでしまう。」といって去ってしまいます。

私には小さな娘がいますが、自分がマサマであるということで生活が苦しく、たいへんな思いをしていることがたくさんあります。
だから、今、いろんな村へ行って娘がどんなに重い病気にかかっても寺院に預けるようなことをしてはいけないと伝えてまわっています。

祭りの中で、サリーをもらったり、ご馳走を振舞われたり、お金を支払われたりするけれども、その時は自分が踊りたくないと思っているようなダンスも強制的に踊らされます。



私の名前はデヴィです。

今はマサマの解放運動のリーダーをしています。
マサマの解放運動に参加するようになってからは、みんなからマサマと呼ばれることを否定したいので、自分の名前をマサマからデヴィにかえました。
今はみんなからデヴィと呼ばれています。
これは自分が変わろうとするステップの一つでもありました。

私は7人兄弟です。
兄弟が7人いることでご飯を食べていくだけでもすごくたいへんです。
そんな中で育てられていたので、小さい頃に病気になった時に寺院に預けられました。
3日間寺院に預けられている間に、両親が「何で子どもを寺院に預けたんだ。」といろんな人達から言われたので、両親が迎えにきて家に戻りました。

7才の時にマサマになりました。
マサマになったということで結婚のお祝い事をしました。
7才の時に2回、祭りの中で踊りを踊らされました。
自分が踊っている時に男性が10ルピーを体のどこでもいろんなところにつけます。
10ルピーという小さなお金を体につけるというのは侮辱的なことで、そういうことがすごくいやだと12才のときに気付きました。

他の女性と同じように私もなりたいと思って、今、活動をしています。
ずっと他の女性と同じようになりたいと思っていました。
それで、他の村の男性と一緒になりました。
今、2人の娘と1人の息子がいます。
けれど、一緒になった男性は浮気をして私たちを捨てて行きました。
「なぜ、私たちを捨てていくのか。」と夫に聞くと、「おまえはマサマだから、僕の家族がおまえを受け入れないんだ。」と言いました。
だから私が彼の家族の家に行った時に「おまえは家には入るな。マサマだから家に入るな。」と言われ、家に入ることが出来ませんでした。
そして、私の母親の家に戻りました。
でも、その母親の家でも自分は他の村の男性と一緒になったということで弟にも今は受け入れられていません。

今、マサマの解放運動をしているので、さっきの人と同じように村から村へ行き、いろんな人に訴えています。
幼い少女を寺院に預けるとどんなことが起こるのかをみんなに語りかけています。
お金が無いからそういうことをしてしまわないように福祉政策を行政にも要求したりしています。

今、こういう活動に参加できてとてもうれしいです。
集会に行っていろんな人に会うことも出来ますし、いろんな所に出て行って人前で話すことも出来るようになりました。

今までは、マサマとして見下されていたけれども、今は集会で会う人たちに活動家として尊敬されます。

そういうことを誇りに思っているし、とてもうれしいです。





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