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5.11平和行進に参加して


藤本 眞利子

 5月11日〜12日、2日間でしたが平和行進に参加してきました。
復帰40年、今年の平和行進は、国境の街、与那国から出発し、沖縄本島の行進隊にそのバトンを引き継ぐという特別な行動が設定されていました。
というのも、政府の新防衛大綱が北方重視から南西諸島へ舵を切り、与那国をはじめ、八重山、宮古諸島への自衛隊配備を強化する動きが強まっているからです。
与那国の平和行進代表は「与那国島では、これまで隣接する台湾と、子ども達の学校間交流や住民同士の交流を進めてきた。住民同士の交流を大切にしながら築いてきた平和の道筋を武力によって断ち切る行為は、断固阻止していきたい」とアピールされていました。

 コースは3つに分かれており、沖縄県庁前からひめゆりの塔平和記念公園を回る南コース、読谷村役場から安保の見える丘をめぐる西コース、名護市辺野古海岸からキャンプハンセンを歩く東コースです。
和歌山からは私を含め4名の参加で、辺野古から出発する東コースを歩くことになりました。



 よい天気に恵まれ沖縄の青空の下を歩きます。
全国から大勢の仲間が参加し、1日約20キロ前後をシュプレヒコールしながら3日間歩く平和行進です。
歩いているとアメリカの軍用トラックが何台も行き過ぎていきます。
トラックには何人もの兵士が乗っています。
基地のまち沖縄を肌で感じる一瞬です。
1978年から続いている平和行進の意味をあらためて考えながら歩きます。
アメリカとの対等外交を掲げた民主党政権でしたが、残念なことに事態は悪くなっていると感じた平和行動です。


 私は日程の都合で2日間の参加でしたが、地位協定の見直しも進まず、基地問題も見通しがつかず、米軍による事件や人権蹂躙の実態も続いています。
戦後40年も経て、残念ながらなにひとつ変わらない沖縄の現状を感じることができました。

 稲嶺進名護市長の「祖国復帰40年になるが、現状は厳しくなっている。辺野古の陸にも海にも基地は作らせない」とのあいさつを和歌山に暮らす私たち自身が考えなければならないと思いました。

 沖縄の空は明るく、人びとは底抜けに明るく、人なつこく、歓迎会では琉球舞踊や民謡でもてなしていただき、こころに残る平和行進となりました。


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