5月12・13・14・15日 Peace Action2006「5・15平和行進」へ行ってきました!
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5月12日から15日までの3日間、Peace Action2006「5・15平和行進」が行なわれた。 日米地位協定の抜本改定を求め、基地の県内移設に反対し、平和な沖縄を取り戻すため東・西・南の3方向から約5,000人が宜野湾市海浜公園をめざし行進した。 和歌山県からは、ヒューマンライツわかやまから僕を含めて2人、あと地区労センター、全日通労組、本州化学労組、全農林労組の各代表5人の計7人が参加した。 基地の島「沖縄」を肌で感じ、米軍基地の撤去を求めて西コース約50Kmを行進してきた。 も く じ ■5月11日 ■5月12日 ■5月13日 ■5月14日 |
■5月11日 〜昼〜 那覇空港に着くや否や、気温30度と強い陽射しのお出迎え!「暑い暑い」と聞いてはいたが、この暑さ・・・。 明日からの平和行進を考えると、少し気が重たい。 クーラー全開のタクシーに乗って、全国団結式の会場へ移動。 会場もやっぱり暑い。 全国団結式開始早々、館内放送で稲嶺知事が普天間基地移設案を容認というニュースが流れた。 平和行進の意義を踏みにじるニュースに、暑い会場がさらに熱くなった。 各団体代表の挨拶も熱気と気合がびしびし伝わってくる。僕たちも、明日からの行進をがんばろうと心に決めた。 〜夜〜 明日からの平和行進のために、西コースの宿泊先、今帰仁村(なきじんむら)に移動。 今帰仁村での交流会に参加した。 琉球舞踊や棒術の演舞を見ながら明日に備えて、みんなガッツリ食べてガンガン飲んだ。 和歌山県からの参加者も、泡盛やオリオンビールを飲みながら、改めて自己紹介。 この7人で3日間の行進をケガなく無事に乗り切ろうと誓い合った。 |
■5月12日
〜朝〜 平和行進1日目、起床すると朝日がまぶしい。天気は晴れ。 ばっちり朝食をとって、気合を入れて、今日の平和行進出発地へ移動。 平和行進が出発するころには、天気が薄曇りになり、あまり暑くない滑り出し。 しかし、行進も1時間を過ぎると雲はどこへやら。強烈な日差しがガンガン照り付ける。沖縄の太陽は、甘くなかった。 〜昼〜 疲れた体に良いのか分からないが、思いっきり苦いゴーヤを食べて、午後の行進を始める。 相変わらずの炎天下の行進と思っていたら、いきなり雲が出てきて、雨粒がぽつぽつ。 焼けた体に調度いいかなと思っていたら、バケツをひっくり返したような大雨!! 沖縄の雨も甘くはなかった。 |
■5月13日
〜朝〜 昨日の疲れを残しながらの起床。和歌山県からの参加者全員、昨日の朝の元気さはない。 天気は快晴、風もあまりない。今日の平和行進は、暑さとの勝負と腹をくくって、今日もガッツリ朝食をとった。 今日の行進出発地は、旧米軍滑走路あとに建つ、読谷村役場だった。 延々伸びる滑走路を、シュプレキコールをガンガン飛ばして行進した。 声を出せば暑さも吹っ切れるし、足の痛みも少しは紛れた。 〜昼〜 座間味(ざまみ)城趾公園で昼食と休憩を取った。足の疲労は酷かったが、弁当を食べて座間味城の城壁に登った。 そこからは、楚辺(そべ)通信所や米軍の降下演習場が見える。 木々の緑と、海の青に囲まれた座間味の風景に、灰色の施設は異様な感じだ。 午後から、嘉手納(かでな)飛行場が見渡せる「安保の丘」をめざして行進した。 炎天下の下の行進、血液が沸かと思った。土曜日ということもあってか、米軍の飛行訓練はほとんどなかった。 しかし、時たま飛来する米軍機の騒音はうるさかった。 「安保の丘」にたどり着き、嘉手納飛行場に向けて抗議行動を行った。 嘉手納の平野部を独占している、米軍に熱いシュプレキコール!そんな、僕たちをあざ笑うかのように、轟音を響かせて着陸する米軍機。無性に腹が立った。 |
■5月14日
〜朝〜 目は覚めたが、体はなかなか起きてくれない。天気は曇り、今にも雨が降りそうだ。 平和行進最終日の出発地は、嘉手納飛行場のすぐ傍の道路から始まった。しばらく行進して気づいたのだが、この嘉手納飛行場の敷地内を幹線道路がはしっている。 この道を行進していると、左側では米軍機の離陸訓練がおこなわれ、右側には米軍の兵器を保管する倉庫が連なっているのが見えた。 左右どちらの施設でも何か事故があれば、沖縄の人が確実に巻き込まれる。なんて理不尽な光景だろうか。 〜昼〜 東・西・南の各平和行進団の集結地、宜野湾(ぎのわん)市海浜公園をめざして行進。 「あと少し」と励ましあいながら最終のシュプレキコール!さすがに3日目になると足が激しい筋肉痛を起こし、皮膚も日に焼けて真っ赤に腫れてくる。 互いに気遣い、励ましあい、労わりあいながら目的地、宜野湾市海浜公園にたどり着いた。 〜夕〜 3日間に及ぶ平和行進の果てにたどり着いた「5・15県民大会」会場、そこはロックコンサートの真っ只中だった。 僕は、はじめ会場を間違えたと思った。大型スピーカーからの大音量は、僕の全身に響き渡った。 後から聞くと、沖縄ロックを語る時に外せない喜屋武マリーさんが「5・15県民大会」が開始するまでの間、歌い続けてくれた。初めて聞く沖縄ロックは、強烈なインパクトがあった。 その理由は、米国から直接もち込まれたロックの影響のためかもしれないし、沖縄の人びとが抱える魂の叫びなのかもしれない。 |