ベアテ・シロタ・ゴードンがやってきた!
〜ベアテ・シロタ・ゴードン講演会〜
取材:M口亜紀
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はじめに2003年10月30日(木) 県民文化会館小ホールで「憲法にこめたベアテさんの思い」と題して、講演会が開かれました。 県民文化会館(http://www.wacaf.or.jp/culturehall/index.html) | ||||||||||||
「ベアテさんって誰?」まず、「ベアテさんって誰?」という方に、少しご説明をさせていただきますと・・・ 彼女は、1923年ウィーン生まれ。 「リストの再来」といわれた天才ピアニストレオ・シオタを父にもつベアテは、山田耕筰に呼ばれた父について日本で少女時代を過ごします。 この、日本で過ごした少女時代の経験や体験(平たく言うと日本の「家父長制」に対して大きな疑問をもったのです)が、以後の日本国憲法の草案時に「女性の権利」を明記することに尽力するきっかけとなりました。
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ベアテ・シロタ・ゴードンさん講演会「ベアテ・シロタ・ゴードンさん講演会実行委員会」が中心となって企画したこの講演会には、当法人「ヒューマンライツわかやま」も参画しました。 という事もあって、当日「客室案内」という大役をあずかり会場整理にあたっていたのですが、さして混乱もなくスムーズに大役をこなすことができたため、じっくりと彼女の話をお聞きすることができました。 彼女は、5歳で日本に来たということもあり、堪能な日本語に合わせ「ダジャレ」を連発するなど、聴く私たちにとっては大変興味深い時間でした。 | ||||||||||||
その理由はさておき・・・彼女は、5歳で来日したということから、その時の「日本の慣習や風習」に対して大きな違和感・疑問をもっていました。 夫の3歩後ろを着いて歩く。 そんな奇妙な姿に、彼女は絶句したのです。 その後、海外留学中にアジア・太平洋戦争に遭遇します。 当時、両親を残し海外に留学していた彼女は、両親の安否を知る善しもありませんでした。 しかし、日本への立ち入りは軍関係者に限られていたため、彼女はGHQ民生部に所属し、日本に再来することになります。 そして、両親の安否を確認し、本来の業務である「日本国憲法」の草案に着手したのです。 | ||||||||||||
「ベアテ草案」「ベアテ草案」は、かなりの箇所が削除されたのですが、幼少の頃に抱いた疑問(日本の慣習や習慣、家父長制・・・)を払拭する、真の「男女平等」「女性の権利」を憲法で謳いあげたのです。
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まとめしかし、社会における男女の差は、1945年とさして大きく変わっていません。 男女の賃金格差、労働形態(パートタイム労働)、育児休業、ドメスティックヴァイオレンス、夫や両親の介護などなど・・・。 しかし、私たちが生活している社会や人びとの意識は、ようやく「女性差別」の実態に気づきはじめました。 私たちはベアテの意思を引き継ぎ、真の男女平等社会を創造する義務があるのではないでしょうか・・・・・ |