女性差別について
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「原始、女性は太陽であった」 しかし私たちの住む現在社会には、天の半分を支えているはずの女性に対する歴然とした差別があります。 女性は封建時代の家制度にしばられ、「家」の維持のための労働力として、また家を絶やさぬために子を産むことが「女性の務め」とされてきました。 さらには家が貧しい場合、「家」や「家族」を守るために、遊郭に売られたり女工として過酷な労働を強いられたりしました。 有名な竹田地方の子守歌でもあるような子守奉公の話など、珍しいことではありませんでした。 現在、私たちの周りには、地域や集団、階層に関わる様々な差別があります。 しかし、そうした被差別者のなかでも「女性」は例外なく、差別的な「女性の務め」にしばられています。 つまり、二重の差別を受けているのです。 こうした状況を踏まえて国連は、1975年に「国際婦人年」を決めるとともに、1979年に「女性差別撤廃条例」の採択し女性差別の撤廃をめざしました。 我が国もこうした動きにあわせて、1981年に「国内行動計画」、1996年に「男女共同参画2000年プラン」、そして1999年に「男女共同参画基本法」が制定されました。 和歌山県でも2002年3月に「男女共同参画推進条例」が採択され、取り組みが進められています。 |
よく、「男らしい」とか「女らしい」ということを聞きます。 また、「男のくせに」「女のくせに」もよくいわれる言葉です。 人間には、様々な個性や能力があります。 それは、単純に男女の身体的特徴(機能の違い)を越えたものです。 しかし、固定的な考えとして「女らしい」とは、やさしさ、思いやり、気がつく、素直となっており、「男らしい」とは強い、活発、積極的だといわれています。 そしてこうした意識によって、子どもから大人の成長過程で「男らしく」「女らしく」ということでの注意(強制)を受け、育てられていくのです。 つまり、「男」はリーダーシップを要求され、「女」はサブとして素直さと思いやりと気配りを持って男が仕事をしやすいようにする役割が求められているのです。 そうした考えは、いうまでも無く「封建時代の家制度に起因する『女性の務め』」からきており、「男は外で働き、女は家庭を守る」という「性別による固定的役割意識」であります。 そしてこうした考えから仕事についても、「男の仕事」「女の仕事」が規定されてきました。 さらには、仕事上の差別的待遇、性的嫌がらせ、配偶者や恋人などの暴力、介護や子育ての押し付けという状況を生み出してきました。 |
女性差別の撤廃に向けて、国連を中心に様々な取り組みが進められてくるなかで、関心も次第に高まり、様々な面で社会システムの改善も進められるようになりました。 そして、これ迄個人的な問題として捉えられてきた「性的嫌がらせ、配偶者や恋人などの暴力、介護や子育ての押し付け」についても社会的な問題として考えられるようになって来ました。 具体的には、父系血統主義の国籍法が、父母両系主義による改正。学校教育での家庭科の共修。男女雇用機会均等法や育児休業法の整備などである。さらに、1999年に「男女共同参画基本法」が制定されました。 とくに、「男女共同参画基本法」では、『男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的および文化的利益を享受することができ、かつ、ともに責任を負う社会』として男女共同参画社会を規定し、さらに「機会の均等」と「性別役割分担の克服」を明記しています。 しかし、こうした取り組みの方向にも、まだまだ弱さや課題があります。例えば、チャンスの均等をいっていますが「結果の均等」ではありません。固定的な役割分担の克服を指摘していますが、「差別の禁止」を明記されていません。 さらに、仕事に関わって、就職―結婚―出産―子育てー再就職という現実のライフスタイルに対し、社会的なシステムや企業の考えが極めて不十分であります。 さらに意識や慣習・風習に関わっても重大な問題があります。「女人禁制―ケガレ」の問題です。月経や出産に関わる血を不浄なもの、「女はケガレている」「女は業が深い」とする宗教観です。こうしたことが「家制度での女性の務め」や「女の役割」の意識面での基盤になっています。そして、今日においても伝統という理由で「女人禁制」が生きています。 男女共同参画―女性差別の撤廃への道は、今ようやく関心が高まってきたところです。本当に、男女互いに対等な立場で共に社会をつくっていくためには、まだまだ多くの課題が山積みされています。 ●りぃぶる(和歌山県男女共生社会推進センター) |